エルダーフラワー 日々是一杯


エルダーの香りを誰かに伝えようとするとき、言葉を探して迷子になる。

そして、オペラ「ニュルンベルクのマイスタージンガー」で、ハンス・ザックスが歌う「ニワトコのモノローグ」を思い出す。

聖ヨハネの祭りに近いある夜、庭に出たザックスは、ニワトコの香りに心をほどかれ、思わず創造の苦しみを歌いあげる。けれど、このアリアをもってしても、ニワトコの繊細で豊かな香りは伝わらない。

実は、木を見るよりも先に、ハーブティーとして飲んだ。その時のエルダーフラワーは、今思うと良くなかった。古めかしい香りと雑味に、心底がっかりしたのを覚えている。

その後、コーディアルを飲んだ。マスカットのようなフレーバーと、甘酸っぱいシロップのさわやかな優しさに夢中になった。

しばらくして、やっとエルダーの花を見ることができた。

ひょろひょろと、節の目立つ枝を右に左に伸ばしている。鋸歯のある細長い小葉のあいだに、大きな白い花が見えた。近寄ると、それは一つの花ではなく、精巧な細工のような白い小花の集まりだった。
目が離せなくなった。

この香りなら、ハーブティーでも飲みたい。
ドイツ、イタリア、クロアチアと、自分が思う「ニワトコの香り」を宿すドライハーブを探し、ようやく、ブルガリアの農家が代々育ててきたエルダーフラワーに出会った。

もちろん、庭に木があれば、それ以上の贅沢はない。

エルダーは、毎日少しずつ咲く。
白い花は、乾燥すると、奥からゆっくりとフラボノイドの淡い黄色を現し、やがて蜂蜜色になる。時間とともに、クロロゲン酸の深いくすみが重なり、小さな花に陰影をつけていく。

そっとカップに入れ、熱湯を注ぐ。
立ち上る香りと、待つほどに深まるクリーム色の水色に、心も身体も温まる。それなのに、口の中には、さっぱりと青くみずみずしい風味が通り抜けていく。身体をほんのりと温め、汗を促す。だから、夏の始まりにも、凍える冬にも、エルダーはふくよかに疲れをほどいてくれる。

今日は、蜂蜜をたっぷり入れて飲んでみる。
夜の庭のハンス・ザックスのように、思わず言葉があふれてくる。
きっとそれも、悪くない。

【エルダーフラワー】
学名:Sambucus nigra
科名:レンプクソウ科(旧スイカズラ科)
使用部位:花
原産地:ヨーロッパ、西アジア、北アフリカ
主産地:ヨーロッパ、特にブルガリア、クロアチア、ハンガリー、ルーマニアなど


【ハーブティーの成分】
フラボノイド配糖体 ルチン、イソクエルシトリンなど
フェノール酸 クロロゲン酸、カフェ酸誘導体など
芳香成分 リナロール、ネロール、ゲラニオール、ホトリエノール、ローズオキサイド類、β-ダマセノン(微量)
粘液質、タンニンなど

エルダーフラワーには、フラボノイド配糖体とクロロゲン酸などのフェノール酸が多く含まれる。

生花が白く見えるのは、花弁の細胞やその間隙で光が散乱するためと考えられています。乾燥によって水分が抜けると、フラボノイド由来の淡い黄色が現れ、時間の経過や酸化に伴って、クロロゲン酸などのくすみが重なり、色味は濃くなっていきます。

エルダーフラワーの精油含有量はごく少なく、コーディアルやシロップなどで煮詰めないように気をつけたいところです。

芳香成分のホトリエノールは、ダージリン・セカンドフラッシュのマスカテルフレーバーや、東方美人茶の香りに関わる成分ですが、エルダーフラワーのマスカットを思わせる繊細な香りは、それだけで説明できるものではなく、微量の芳香成分と糖、酸、ポリフェノールなどが重なった、花全体の風味として、嗅覚と味覚によって感じられます。

古くなると、花らしい青さやみずみずしさが失われ、干し草のような匂いや、酸化したくすみ、雑味が強くなる。エルダーフラワーは、成分量だけでなく、鮮度と乾燥技術によって味わいが大きく変わるハーブだと思う。

【歴史・民俗・儀礼・宗教】
ヨーロッパではエルダーは魔除けの力が強く「守りの木」とされる一方で、不吉とされる伝承も多く残っています。
特に中世には、ユダがこの木で首を吊ったという伝承も生まれた。そのため、エルダーの木に生える耳の形をしたキクラゲの一種は「ユダの耳(Judas’s ear)」と呼ばれるようになりました。聖書にはそのような記述はないので、魔除けとして使われるくらい魔力の高いエルダーの木に、奇妙なキクラゲが生えるのを気味悪がって、民間伝承となったのでしょう。

エルダーの木に生えた、キクラゲ 布引ハーブ園

【ライラックかエルダーか】
オペラ「ニュルンベルクのマイスタージンガー」で、ハンス・ザックスが歌うのは「フリーダー(Flieder)のモノローグ」です。一般には「リラ(ライラック)のモノローグ」と訳されることが多いですが、一部「ニワトコのモノローグ」と訳されます。

それにはいくつか理由があります。
まず、物語の季節が聖ヨハネ祭の頃であること。ライラックよりも、エルダーの開花時期に近く、季節の風景にはしっくりきます。
また、Fliederは、もともと低地ドイツ語圏でニワトコを指す言葉だったそうです。その後に入ってきたライラックは、spanischer Flieder(スペインのエルダー)と呼ばれ、やがてFliederがライラックを指すようになったとされます。
ですが、どちらが正しいか分かりません。

私が観劇したオペラでは「ニワトコのモノローグ」と訳されていたので、長い間、すっかりそうだと思い込んでいました。けれど、「エルダーって、ザックスが歌うほど、そんなに強く香ったかな」と、今さらながら少し疑っています。

石橋志保


CARACAROフィトテラピースクール代表
植物療法講師/ハーブ専門家
植物文化・死生学・ライフデザイン研究家

神戸を拠点に、伝統的なハーブ療法に、現代の成分化学、生化学、分子生物学などのサイエンスの観点を取り入れ、エビデンスベースなハーブ・アロマテラピーを展開。キャリア30年以上のプロ養成スクールを運営・指導。フィトケミカルや植物辞典など植物の科学と文化を幅広く発信。

植物と宗教・民俗、 死生観・ライフデザインをテーマに、講座やワークショップの企画運営、 講演・執筆活動を行う。

幼少から植物栽培、発酵・歴史・文化・宗教・民俗が大好物。修士(人間学)専攻は人間社会学、専門は死生学(災禍の儀礼、祈り、悲嘆ケア・グリーフケア)。神話・宗教・芸術と植物から、人が植物に託した思いを紐解き、祈りや儀礼とともにトランジションをデザインする「ハーベストライフ」を提唱、執筆講演活動中。

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