今年もこの季節がやってきた。暖かな陽気と冷たい雨が交互にやってくるようになると、枝先にふくらんだ桜のつぼみを見つけるのが楽しくなる。
桜の花は、日本人の美意識そのものだという。
一斉に咲き、一斉に散るソメイヨシノは、たしかに私たちが好む「うつろい」や「儚さ」を体現しているように見える。
江戸の園芸文化と染井村
ソメイヨシノは、日本に植えられている桜のうち、およそ7〜8割を占めるといわれている。
その発祥は、江戸末期から明治初期にかけて、現在の東京都豊島区駒込周辺にあった染井村だとされる。
オオシマザクラとエドヒガンをもとに生まれた品種と考えられているが、人工交配か自然交配かは、はっきりしていない。
当時の染井村には多くの植木屋があり、その様子は歌川広重の浮世絵にも描かれている。
そこは単なる植木の売り場というより、今でいう植物園のような広がりをもっていたらしい。
広い敷地には植木や鉢物が並び、江戸の町から訪れた人々が、それらを眺め、買い求め、行楽のように楽しんでいたという。
初代から三代にわたる将軍たちが花を愛したこと、参勤交代によって各地の植物が江戸に集まりやすかったこと、経済の発展と安定した治世も重なって、江戸の園芸文化は驚くほど豊かに花開いた。
朝顔、菊、椿、蓮。
さまざまな植物の品種改良が行われ、人々は植物を育て、眺め、暮らしの中で愛でていた。
そのことは、当時の記録や図譜、随筆からもよく伝わってくる。
ソメイヨシノもまた、そうした園芸文化の中から広まっていった桜だった。
クローンと死生観 受け継ぐ遺伝子
よく知られているように、ソメイヨシノは一本の木から、挿し木や接ぎ木によって増やされたクローンである。
成長が早く、樹形も整いやすく、庭木としても優れていたこの桜は、染井の植木屋の取引先でもあった大名屋敷の庭にも、好んで植えられるようになっていった。
けれど、ソメイヨシノがこれほどまでに特別な桜となった理由は、育てやすさや見栄えのよさだけではないのだろう。
やがてこの桜は、「花」という存在を超えて、日本人の美意識や死生観、無常観と結びつきながら愛されていくようになる。
そこには、おそらく武士たちの美学も深く関わっている。
かつて戦闘集団であった武士は、江戸時代に入ると為政者としての役割を担うようになった。
しかしその精神の底には、つねに「死」が近くにあった。
『葉隠』に語られる死生観や、『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』のような人気演目にもあらわれているように、武士の美意識の根には、つねに無常が息づいていた。
そしてそれは、武士だけの感覚ではない。
江戸に生きる人々にとっても、この世はどこか「憂き世」だった。
常にうつろい、長くとどまることができないこの世界の感覚は、市井の人々の心にも深く根づいていたのだろう。そこに仏教の思想も重なって、散りゆく桜への想いは、ただ美しいだけにとどまらなくなっていた。
そうした土壌と響き合うように、ソメイヨシノは、武士の時代が終わった明治以降、日本全国へと広がっていく。
一本の木からとられた挿し木や接ぎ木が、同じ遺伝子を受け継ぎながら各地に根づいていく。
どこで見ても同じように、一斉に咲き、一斉に散る。
そのあり方そのものが、どこか日本的な美しさを帯びていたのかもしれない。
そして今もなお、春になると、ソメイヨシノは短い命を咲かせては散っていく。
その淡い花の姿かたちの美しさだけではない。
私たちの心の奥にある無常観や、この風土に長い時間をかけて沁みこんできた美意識が、桜の下で静かに呼び起こされているのだと思う。
だから私たちは、毎年のように、咲く前から待ちわび、散ったあとまで、あの花のことを思ってしまうのかもしれない。
【参考資料】
https://adeac.jp/toshima-komagome-lib/top/topg/index1.html


