河津桜の下で シリーズ「植物と死生観」

「この間、緑地の川辺に、桜をみにいってきたんよ」

92歳の母が、弾んだ声で電話をしてきた。

近くに住む義妹のT子叔母さんが誘ってくれて、同じく義妹のY子叔母さんと三人で、緑地の河津桜を見に行ったそうだ。私も先週帰省したときに、ちょうど車で通りかかった場所だった。お城の近くの緑地に植えられた河津桜が、ほんのりと開きかけていたのを思い出す。まだ肌寒い中、T子叔母さんが運転する車で、ドライブがてらに行ったらしい。

河津桜は、比較的新しい品種の桜で、オオシマザクラとカンヒザクラが自然交雑した種だ。
1950年代に静岡県河津町で一本の早咲きの桜として見出され、「河津桜」と命名されたといわれている。
暖地では1月下旬から咲きはじめ、3月中旬くらいまで長く咲く。
くっきりと濃く、あたたかい色の花びらが、まだ冬の気温が続く中で、一足先に春を告げる。

「まだ寒かったんじゃないの?」とたずねると、
「そうなんよ。ゆっくり散歩して、T子さんが持ってきてくれたショウガ湯を飲んで、桜を見ながらおしゃべりしてたんよ」と、思い出すだけでも楽しそうな様子に、こちらも気持ちが緩んだ。

T子叔母さんは父の弟の妻で、Y子叔母さんは父の妹、そしてもちろん母は父の妻。
血のつながりはないけれど、「石橋」という家の縁で出会った三人だ。

生まれも育ちも、年齢も互いに少しずつ離れ、性格も違う三人だから、その距離はずっと近かったわけではない。
すでになくなった父のもう一人の妹E子叔母さんと4人で、その時々の距離でつき合っていたはずだ。私にはわからない悲喜こもごもが、そのあいだにはきっとあったのだと思う。

E子叔母さんとの早すぎる別れがあり、その夫である叔父さんも亡くなった。残された従姉妹のことも気にかけながら、この三人が一緒に過ごす時間がなんとなく増えているのも、長い年月の中で、説明できない時間や思いを越えて続いてきた縁あってのことなのだろう。

その三人が、満開の河津桜の下で、身を寄せ合うようにショウガ湯を飲んで笑っている姿を思い浮かべると、なんだかちょっとおかしくて、でも涙が出そうにもなる。

「家」というものは、ときに窮屈で、個人を縛るものでもあったのだろう。
「私は私」でいるために、不必要になったものも多いのかもしれない。
そう考えると、家にまつわるものを、ただ懐かしく肯定する気にはなれない。

けれどその一方で、「家」に縁があったからこそつながった関係が、制度や呼び名を越えて、こうして人と人とをやわらかく結びつづけることもある。

河津桜もまた、一本の木が見出され、そこから挿し木や接ぎ木によって増やされてきた花だという。一本の木の命が終わっても、その花は別の場所に根づき、また咲きつづけていく。

そう思うと、人の縁も少し似ているのかもしれない。
どんな関係であっても、そこで交わされた思いや時間は、消えることはない。
誰かが亡くなっても、関係のなかに残されたぬくもりは、その人を思う気持ちでつながった人たちのあいだに、受け継がれていくのだと思う。



だからこそ、こうして花冷えの中を身を寄せ合うように歩き、あたたかいショウガ湯を飲みながら、河津桜を眺める時間が、いっそう尊く見えるのかもしれない。

河津桜は、ソメイヨシノのような淡い儚さというよりも、もう少し人の体温に近い花だと思う。
一瞬のきらめきとして過ぎていくのではなく、「もう少しだけ」と春の時間を引きのばしてくれるような、ゆっくりとしたあたたかさがある。
まだ冷たい風の中でも、やわらかく力強い春の色をしている。

その花の下で、母と二人の叔母が、ベンチに腰かけておしゃべりをしている。
その風景を思うだけで、春は花の色だけでやってくるのではないのだと思う。

人と人とのあいだに残っている、こうしたあたたかさもまた、春なのだろう。

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著作情報

【運営・著者】
CARA-CAROフィトテラピースクール
神戸三宮本校とオンラインスクールで、ハーブ・アロマ・フィトテラピーの専門講座と講師養成講座を開講しています。

植物療法を通じて、動物・植物・微生物のいのちの営みと、人が紡いできた歴史・文化に触れながら、知的な豊かさと学ぶよろこびを分かち合うことをミッションに活動しています。