このところ、専門誌に連載していた記事について、感想をいただくことが増えました。
もう6-7年前の記事なりますので、気恥ずかしいのですが、その何十倍も嬉しく、ありがたいという気持ちもあふれてきます。読んでくださった皆さまには、改めて御礼申し上げます。
また、「あの連載を読みたいです」とおたずねいただいたのですが、2年ほど前に、掲載誌を発刊していた出版社が営業を終了したため、売りきれとなっています。国会図書館には収蔵されていますので、そちらでお読みいただけるかと思います。古本、メルカリなどでも入手が難しいようです。
しかしまあ、読み返すとなんと稚拙な文章で、浅いことを書いているのだろうと恥ずかしくなります。が、それがその時見知ったこと、調べたこと、感じたことをまとめました。その時の精一杯であることは間違いありません。
連載が終わってすぐ、世界は大変な状況に陥ってしまって、残念ながら、恒例となっていたイタリア訪問も途絶えてしまいました。両親のケアや時間をかけてやりたいことがいっぱいあるので、海外に行きにくくなってしまったこともあるので、ひょっとしたらあれが最後だったのかもなぁとうっすら思うこともあります。そう考えると、浅くて稚拙なものだとしても、書いてカタチにできて良かったなと思います。出版社・編集の皆さま、貴重な機会をいただき、ありがとうございました。
実は、この連載よりも、もっと恥ずかしい過去の書き物があります。
それは、大量に発行してきた、スクールのテキストです。
こちらも、その時々でがんばって書きましたが、情報そのものがなかったり、古かったり、自分が誤解していた内容もあるし、誤解を招く表現もあったり、誤字脱字チェックや表記ゆれのチェックも行き届いていません。
だから古いテキストの内容をつっこまれたり、指摘されたりすると、「文字や映像で残すのいやだ!」という気持ちになってしまって、レッスンの録画配信やテキストやレジメをまとめるモチベーションが、消えそうになります。
2-3年に1回は改訂しているので、加筆修正を繰り返してはいるので、「古いテキストは参考にしないで~」「すぐに捨ててほしい~」と思っているのですが、「テキスト大事にしています!」とお声かえていただくと、やっぱり嬉しさが勝るのです。現金な生き物ですねぇ。
講師やセラピスト、レッスンテキストを書く立場としては、情報の更新や精査が大事なので、追い立てられるように情報収集し、改訂作業ばかりしています。しかし、読む側としての私は、新しいものに出会うのも、更新されるのも、古いものとの出会いも、すべてはタイミング(縁のもの)と思うのです。
クラシックでは、何百年も前の作曲家の曲を、飽きもせず何度も聞いて、歌って、演奏します。古典も好き、漢詩も好き、昭和の純文学も好きですし、経典なんて何千年前のものに、生き方の指針を学ぶことがなんと多いことか。とにかく、古いものと最高のタイミングの出会いがたくさんあったので、何事も自分のタイミングが来たら出会うというのが信念になっています。
だからこそ、ご縁のある方に、タイミングのいいときにお届けするために、文字も音声も映像も、コレと思ったことは残しておきたいなと思うのです。いま読んでくれる方がいなくても、いつかどなたかに届く日があることを楽しみに、そしてどんな方に届くのかを楽しみに、録画、録音、そして書くことを続けています。
今回は、思わぬタイミングでいただいた「読みました!」のお言葉に、すごく励ましていただきました。言葉にして伝えてくださったことが本当に嬉しく、ありがたい気持ちでいっぱいです。
続けていくことで、いつか何かのお役に立てたら嬉しいです。


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