死生学を学んだきっかけ

死生学

「専攻は死生学です」とこたえると、いろいろな反応をいただきます。そのなかでも、死生学を学ぼうと思ったきっかけってなんですか?と、よくたずねられるので、自分の備忘録としてもまとめておきたいと思います。

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■大切な人の死は、誰もが必ず経験するから
死生学を学ぼうと思ったきっかけは、「大切な人の死は、誰もが必ず経験する」と思ったからです。

私自身も幼少期に、若い叔父や友達、大好きな祖父を亡くしたこと、その後も成人前後には友人知人を亡くしました。自分が悲しいことに加えて、叔父の恋人や、叔父の父親代わりだった私の父、友人知人の親御さんの悲嘆は、子供ながらに忘れられませんでした。

そして阪神淡路大震災をはじめ、今日まで様々な災禍に遭遇したのは、皆さんも同じだと思います。

■植物の癒やしが仕事になって 再び悲嘆に触れる
特に阪神淡路大震災は、自分の人生を大きく変える出来事でした。震災後は、社会全体が「心のケア」や「ボランティア」に意識が向くようになり、その中でも植物が人を癒やすということで、注目されはじめたアロマテラピーやハーブの講師に誘っていただきました。

子供の頃から植物や小さい生き物が大好きだったので、同じく植物が好きな方々とご一緒できる仕事ということ、好きな植物や香りや人間のことを話してお金もいただけるんなんて幸せなこと。ましてや尊敬している方からのお誘いだったので、喜んでお引き受けました。当時はエステサロンに勤務していたのですが、無理を言って、指名のお客様の時だけ出勤するスタイルにしてもらい、ダブルワークをしていました。

植物と人の癒やしや健康についてお伝えする仕事に就き、経験を重ねる中で、ボランティア活動もはじめました。それが、終末期の方へのケア、大切な人をなくされた遺族の方の悲嘆ケア、小児がんの患者家族様へのケアです。

状況や、表現や在り方は個々に違っても、こんなにもたくさんの方が、大切な方の死と向き合い、生きている。そして「大切な人を亡くす経験をしない人はいない」ということに気づきました。そしてそこから、悲嘆ケアについて学びはじめました。

■専門的に学ぶきっかけ 従兄弟の奥様から
悲嘆ケアについて学びはじめてみて、いろいろな壁にぶつかったこともあり、「もっと本格的に死生学を学びたい。もっとよい悲嘆ケアができないか?」と思うようになりました。

医師をしている従兄弟の奥さまが、アロマテラピーやタッチングに興味をもってくれて、悲嘆ケアについて話す機会がありました。その時に、看護師でもある奥様が、上智大学グリーフケア研究所で悲嘆ケアを学んでいることを知り、悲嘆ケアに対する思いや考えを伺いました。それで心が決まり、武蔵野大学大学院を受験することにしました。

その奥様のTさんは、福島で被爆した保護牛のお世話をしているそうです!
東京から福島まで通って、牧草ロールを転がしたりしているそうで、楽しそうに、愛おしそうに、お世話している牛の写真を見せてくれました。やっぱりスゴイ方!ずっと尊敬しています。

■人生の宝物になった学びの時間
なぜ上智大学グリーフケア研究所ではなく、武蔵野大学大学院を受験したかも、よくたずねられます。

いくつか理由がありますが、
・キリスト教と仏教という宗教の違い
・実践と研究という目的の違い
が、一番大きくて、実践の前に研究がしたかったこと、病院実習の時間がとれなかったこと、仏教やインド哲学も学びたかったことなどから、武蔵野大学大学院を目指しました。

大学院は研究の場ということで、傾聴やカウンセリングのような実践は少ないです。施設実習もありません。レポートやディスカッション、ロープレやプレゼンが中心です。

が、様々な死生観を考察したり、安楽死や終末期医療、トリアージの問題、生殖医療、宗教や儀礼の役割、様々な死別と悲嘆について、本当に濃く深く学べたと思います。

特に、多世代が住みよいまちづくりや、環境倫理、動物愛護、時代もあってSDGsまで、様々な社会問題について考えるチャンスをもらえたことは、いまの仕事にも大きく役に立っています。

そして、様々なキャリアとバックグラウンドをお持ちの方のお話しを聞けることが、いちばんの学びでした!ここでの出会いや経験は、人生の宝物です。

また、武蔵野から上智へ、上智から武蔵野へと、どちらにも通う人が多いことも知りました。私も時間や学費にゆとりがあれば、ぜひそうしたいと思っています。

■思うこと、語ることは、亡くなられた方の生きた証
私のテーマは、「亡くなられた方が生きた証」です。

研究では、災害の際の葬送儀礼や慰霊祭をテーマとしましたが、グリーフケアとしては、亡くなられた方について語ったり、亡くなられた方を思うことを大切にしたいと思っています。

大切な方が生きた世界を、遺された者だけで生きていくのは辛く悲しい時間があります。しかし、その時間を経て、大切な人との関係をより強く濃く結び直すこともできます。

そして、大切な人が生きた証は、遺された方々が語り合うことで残すことができるのです。亡くなられた方は、形を変えて生き続けることができると思うのです。

とはいえ、それは簡単なことではありませんね。だからこそ、大切な人を思う気持ちを紡いでいけるお手伝いができたらなって思っています。これも簡単なことではありませんね。いつか、もっとしっかりと言葉に出来たらと思います。

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長くなっちゃいましたが、こうして書くことで振り返りができるのは、とてもいい時間です。以前、セラピストの学校の谷口先生がインタビューしてくださったことから、思わぬ形で半生を振り返ったことがありますが、今回は死生学や悲嘆ケアに絞って書いてみました。

書きながら、そうだったなぁと久しぶりに思い出したこともあり、改めて悲嘆ケアに取り組みたいと思いました。叶うなら、どなたかのお役に立てたらいいなと思います。

石橋志保

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