■予期悲嘆とは
人が死を予感したり、予期したり、死に備えて生じる悲嘆を「予期悲嘆(anticipatory grief)」といいます。死を予感するだけでも、喪失感や悲しみを感じます。余命宣告を受けたり、今の父のように、死の輪郭がはっきりしてきたときに、強い予期悲嘆を感じて複雑化する場合があります。
■みんな同じではない 認識と受け止めと表出
また、そのような状況にあっても、何も感じない場合や、特出しない場合もあります。感情やその表出は人それぞれで、悲しみやつらさの表現やそれに伴う行動も人それぞれです。ただ、悲しみから無感情になってしまうこともありますし、ご家族や周囲の方が「私たちががんばらなければ」と感情を認識できない、表出できなくなってしまっている場合もあります。ご本人様やご家族様が、ご自身の感情を認識し、ありのままを受け止められるように支援することが大切です。
■予期悲嘆が照らし出すもの
しかし予期悲嘆には、死が現実になった時の衝撃を和らげたり、悲嘆からの回復が早まることがあるため、すべてがネガティブではないということです。
それは心の準備だったり、過ごしだったり、看病や介護などだったりの時間が少しでもあるからかもしれません。
もちろん、大切な方をなくすことに、良いも悪いはありません。
■だからこそのメメントモリ 死を思え
日々幸せというのはとても有り難いのですが、ついついそれが当たり前と思ってしまいます。何かのきっかけで、「死」を意識することがあると、日々をもっと大切にしようとか、一時の感情に支配されないようになってきます。ごめんねと謝れたり、ありがとうが、素直に言えたりします。
突然のお別れを経験した方や、不条理な死を経験された方からは、「少しでも時間があっていいなと思ってしまう」という言葉をよく聞きます。死の予感にある方にはとても失礼で無礼な言葉かもしれません。しかしそれも、死別を経験された方だからこその真理だと思うのです。
予期悲嘆の状態になくとも、日々、死を思い生きること。それをたくさんの亡くなられた方やご遺族様が、命をかけて、人生をかけて、教えてくださっているんだと思います。そして、死生学を学ぶものとして、死を通じて、生きていることの尊さを伝えていきたいと思っています。


コメント