父の透析が始まった日 父の本当の幸せを考えた

死生学

■父の人工透析を開始することに
年末に負傷してから、体調が良くなかった父ですが、水分がたまるようになってきたので、いよいよ人工透析を開始することになりました。

「腎機能は落ちていないので、どうされますか?」と、いくつかの選択肢をいただきましたが、この日が来るのが分かっていたので、準備(シャント形成、万が一のショートステイ手配、公共福祉利用の申請など)をすすめていました。

透析をせずに、利尿剤の投薬と自宅療養という方法もありますが、そうなると、一緒に住んでいる高齢の母にも心労があると思ったのと、時間がかかります。高齢者にとっての「時間」は、もっとも大切なものになります。なので、母が安心して自分の生活に集中できること、のんびりしていられること、そしてスピードを重視して、まずは入院しての透析で様子を見たいと判断しました。

■人工透析と治療中止による不作為の死
いったん人工透析を始めてしまうと、それ止めるときは、父にとって『治療中止による不作為の死』という形をとることになります。人工透析を中止すると、通常は10日~2週間で亡くなります。人工透析がはじまってしまったら、心不全などで急変して亡くなるか、主治医と私とで相談して、治療を中止する形で亡くなるかです。残念ながら死は平等に訪れます。いつ、どのような形になるのかは、誰にもわかりません。しかし、人工透析を開始したことで、父の終焉の形の1つが、くっきりとした輪郭を持ち始めたのです。

■父にとっての幸せとは?
父は、あと2ヶ月で88歳です。透析の影響で心不全を起こして亡くなってしまうかも知れません。感染症や誤嚥性肺炎のリスクもあります。長い治療の中で、せん妄や認知症などの症状が出るかもしれません。

ですが、食べたいものも食べられず、「しんどいなぁ」と思いながら植物ともふれ合えず、大事な大事な母に心配をかけて日々を過ごして、父は幸せなのか?と考えたら、「絶対にそうではないな」と思いました。

人工透析の許す範囲で、美味しいものを食べたり、今よりは軽快になった身体で出掛けられるところへ出掛けたり、畑や庭で植物との時間を楽しむことと、母がニコニコ笑って楽しく過ごしている姿を側で見るのが、父にとっての一番の幸せで安らぎであることは、間違いないと思います。叶わないかもしれないけど、できれば母を看取りたいという気持ちも持っているようです。それ以外に、何の欲もない人だから。

1日でも、1分1秒でも長生きして欲しい。それは理想ですが、叶わない現実を追っている間に、父の時間が減ってしまう。残された時間は誰にも分からないのに、何が最良かを考えるのはとても難しいのです。

命に関わる判断というのは、医療従事者も、患者本人も、家族も、答えの出ない哲学的な問いを突きつけられるのです。

■事前の準備と周りの方に助けられた
私はひとりっ子で独身なので、家族は父と母のみですから、家族で話し合うことはできず、相談できる人はいません。

が、死生学を専攻しているため、たくさんの周辺領域のプロが周りにいて、経験者の方々にもお話しを伺える環境にあります。この6年、自分も人工透析の中止と不作為の死について、何度もレポートを書き、プレゼンもしました。そのおかげで、ずっと心の準備をしてこれたので、いま落ち着いて笑顔で二拠点生活を楽しめているのかなと思います。

■ご心配くださっている方々へ
あたたかいお声がけをいただき、いつもありがとうございます!
畑のお手伝いをしてくださったり、父でも食べられるものをお土産にくださったり、母のことも気にかけてくださって、心より感謝しています。

父は、同じ年齢の方よりもうんと若く、うんと元気です。自分の体調や病気や治療のことも理解して、精一杯セルフケアもして、手厚い医療や看護に、心から感謝しています。母も楽しく好きなことをいっぱい楽しんで暮らしています。90歳超えて自活できているので、ありがたいです。私も好きなこといっぱいやりながら、出来る範囲でやっています。赤穂と神戸を行ったり来たりですが、またカフェ行ったり、ごはん食べに行ったり、植物散策に誘ってくださいね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました