夙川の坂道に 須賀敦子さんの足跡を探して

雑記帳

私が最初にひとり暮らしをはじめたのは、夙川の古くて小さなアパートでした。

駅から何度も坂道を登ったり下ったりした先にある、阪急電車の線路沿いに立っていました。
古くても安くて広くて、大家さんが住んでいる物件を探していた時に、紹介された候補のひとつでした。

毎日、早朝から深夜まで電車の音が聞こえますが、不動産屋さんに「車よりいいよ。規則的だからね」と言われた通り、すぐに慣れました。

ここに決めたのは、須賀敦子さんの生家に近いと聞いたからです。
私が須賀敦子さんのエッセイに出会ったのは、まだふわふわしていた、二十歳の頃でした。

須賀さんが見せてくれる景色は、特別ではない日々に起こっていること。
淡々と、静かに深く、しみこんでくる言葉たちに、自分も足を止めて人生を見つめる。
そんな体験が心地よくて、何度も何度も読み返してきました。

夙川に住むようになり、日々、須賀さんの足跡を辿ることができました。

休みの日には、生家のあった翠ヶ丘を中心に、親王塚、岩園、夙川沿いの苦楽園あたりを散歩していました。
このあたりには、須賀さんの生きた「阪神間モダニズム」と呼ばれた時代の匂いが、今も色濃く残っています。
その街並みを縫うように伸びる坂道を登ると、ときおり海が見える場所がありました。

陽の光を受けて静かに揺れるその青さに、大きな船がゆっくりと行き交うのを見つめていると、須賀さんの文章に流れる穏やかな時間が、胸の奥に蘇るようでした。

あの頃の私には遠い夢だったイタリアの地を、仕事で踏むことになったのは、それから随分経ってからのことです。
ミラノやトリエステを訪れることはできませんでしたが、ローマやフィレンツェの路地裏で、ふと須賀さんの言葉を思い出すことがありました。
海の向こうで須賀さんを支えていたのは、幼少期を過ごした夙川や苦楽園、そして家族の風景だったのではないかと感じる瞬間もありました。

私も歳を重ね、神戸に転居した今でも、時折、あの急な坂道を思い出します。
息を切らして登った先には、いつも海が見えました。
まだ若く、将来が見えない不安の中で、須賀さんの見た景色は言葉になって、坂を登る私の背中をそっと押してくれていたのかもしれません。

あの古くて小さなアパートはもうないかもしれませんが、本棚には変わらず、須賀さんの本が並んでいます。
ページをめくるたび、二十歳の頃の心もとない私と、電車の音、そして坂の上から見た海のきらめきが鮮やかに蘇ります。

日々の暮らしに少し疲れたとき、また須賀さんの言葉に触れる。
そうすれば、いつでも坂道を上り、私の人生のなかの新しい海のきらめきを探しに行けるような気がします。

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